読んでくださりありがとうございます。
本日もお疲れ様です🙂
今回は私の好きな俳優・武術家でもある李小龍について触れていきたいと思います。
わずか4本の主演作(死亡遊戯を含めると5本)で、世界的に有名になるも、32歳という若さで急逝した不世出のアクションスターですね。
タイトルは「燃えよドラゴン」の台詞からとりました。
以下は映画.comさんのサイトから一部抜粋します。
1940年11月27日生まれ、米サンフランシスコ出身。
5歳の時に家族と香港に移り、翌年から子役として香港映画に出演。
中学時代に町で襲われたのをきっかけに、中国武術を習い始める。
1959年にはアメリカに戻ったようですが、香港にいる間にイップマンに師事して詠春拳を習ったのでしょう。
その後はTV版「グリーンホーネット」への出演や、俳優業のかたわらハリウッドスターにも武術を教えていたそうです。
彼は教えを乞いたいという人には外国人でも分け隔てなく教えていたそうですが、当時は人種差別的な考え方がまだ色濃く残っていて、白い目で見られる事もあったとか。
確か中国武術を西洋人に教えるのは禁止、のような風潮があったそうで。
彼はそんな事は気にせず、西洋人でも東洋人でも平等に教えていたそうです。
このエピソード、私はとても好きですね🙂
彼の人柄が出てる感じがして😀
そして記念すべき初主演作「ドラゴン危機一髪」(71)、「ドラゴン怒りの鉄拳」(72)はアジアを中心に大ヒット。
自身の映画製作会社を設立、監督・主演・脚本・製作・音楽監修・武術指導を兼任した「ドラゴンへの道」(72)も勿論大ヒット。
クライマックス、チャック・ノリスとの格闘シーンは映画史に残るアクションシーンといえるのではないでしょうか。
そしてこの時代で、ハリウッド映画にアジア系の俳優が主演する事は殆どなかった筈ですが、ハリウッドと香港合作の「燃えよドラゴン」で世界中に李小龍旋風を巻き起こしたのです。
ですが彼は、「燃えよドラゴン」公開前に亡くなってしまいました。
女優べティ・ティンペイの自宅で頭痛を訴え横になり休んでいて、そのまま起きてこなかったそうです。
救急車で病院に運ばれた時には、もう呼吸も脈もなかったと。
死因は脳浮腫と言われてますが、永遠の謎ですね。
未完の遺作となった「死亡遊戯」はロバート・クローズ監督らによって追加撮影され、78年に公開されました。
いずれにせよ早すぎる死だったのは間違いありません。
たらればの話しになりますが、もし彼が生きていたら、どんな映画を、どんな哲学を残してくれたのだろうと考えずにはいられないです。
「燃えよドラゴン」ではジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポーが出てる事は今や有名ですよね。
サモ・ハン・キンポーは冒頭の対戦相手、ジャッキー・チェンは中盤敵のアジトで首を折られる役です。
「燃えよドラゴン」は英題は「Enter the Dragon」なので直訳すると「ドラゴン登場」になるのですが、それを「燃えよ…」と訳したのは名訳だ、とどこかで読みましたが、全くもって同感です🫡
映画内での彼のヌンチャク捌きや、蹴った相手とそれを支えた人ごと吹き飛ばす威力、どれも本物としか思えません。
私は作風が明るいのもあって「ドラゴンへの道」が1番好きですが、李小龍好きの方は何が1番好きでしょうか❓
「ドラゴンへの道」、「ドラゴン怒りの鉄拳」、「燃えよドラゴン」の感想はこちらです⬇️
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